鍵山優真選手、ミラノ五輪内定おめでとう!
ついに、この日が来ましたね。鍵山優真選手のミラノ・コルティナダンペッツォ五輪代表内定。ニュース速報を見た瞬間、わたしは「やっぱり、彼は強かった」と、どこか安堵するような気持ちになりました。
怪我という大きな苦しみを乗り越えて、また世界のトップ戦線に戻ってきた彼。そのスケーティングの滑らかさ、ジャンプの質の高さ、そして何より、どんなプレッシャーの中でも崩れない精神力。彼が日本のエースとして五輪の切符を掴んだことに異論を唱える人は、きっと一人もいないはずです。
でも、それと同時に、わたしのSNSのタイムラインには、お祝いの言葉と同じくらい、あるいはそれ以上に「重い言葉」が溢れていました。みなさんの心の中にも、喜びだけではない、何か言葉にできないモヤモヤとした感情が渦巻いているのではないでしょうか。今日は、そんな「割り切れない思い」を抱えているあなたに届くように、この記事を書きたいと思います。
喜びの裏にある、あまりにも残酷な「選考の壁」
フィギュアスケートを愛する私たちにとって、五輪選考の時期はいつも「地獄」のような側面を持っていますよね。特に今の日本男子フィギュア界は、世界的に見ても異常なほどの高水準です。世界選手権で表彰台に登れる実力を持っている選手が、国内に5人も6人もいる。けれど、五輪に行けるのは、たったの「3人」だけ。
今回の選考結果を受けて、「どうしてあの選手が入らなかったの?」「あの基準はおかしいんじゃないか?」という声が上がるのは、それだけ落選した選手たちが素晴らしい演技を見せ、私たちに感動を与えてくれた証拠でもあります。わずか数点の差、あるいは過去の実績の評価の差で、4年に一度の夢が断たれてしまう。この残酷な現実に、どう向き合えばいいのか。わたしも画面の前で、胸が締め付けられるような思いで結果を見つめていました。
なぜこれほどまでに議論が紛糾しているのか?
今回の議論の核心は、日本スケート連盟が掲げる「選考基準」の解釈にある気がします。全日本選手権の結果をどこまで重視するのか、それともシーズンを通した世界ランキングやISU公認のベストスコアを優先するのか。この「一発勝負の爆発力」と「シーズンを通した安定感」のどちらを重く見るべきかという問いには、実のところ正解がありません。
ファンとしては、目の前で魂を削るような演技を見せた選手に報われてほしいと願うのは当然です。一方で、五輪でメダルを獲る確率を最大化するためには、実績のある選手を選びたいという連盟側の意図も理解できてしまう。この「感情」と「論理」のズレが、今のSNS上の激しい議論を生んでいるのだと感じます。
SNSで見られた「3つの反応パターン」
今回の発表後、SNSでは大きく分けて3つの反応が見られました。どれも、選手を想うがゆえの切実な声ばかりです。
1. 制度への不満:今の選考基準は公平なのか
「全日本で2位だった選手が落選して、3位の選手が選ばれるのは納得がいかない」という、直接的な結果への疑問です。フィギュアスケートは採点競技であり、その採点自体にも主観が混じる可能性があるからこそ、ファンは数値化された「公平性」を強く求めます。ルールに基づいているとはいえ、そのルール自体が選手たちの努力を正しく評価できているのか、という悲痛な叫びが多く見られました。
2. 選手への愛:落選した選手の努力をどう肯定するか
特定の選手を長く応援してきたファンの方々にとっては、選考基準がどうこうという話以上に、「あんなに頑張ってきた推しの夢が、ここで終わってしまうなんて」という喪失感が勝っています。特に、怪我や不調を乗り越えてようやく掴みかけたチャンスを逃した選手への同情は、見ていて涙が出るほどです。「ミラノで見られないことが信じられない」という声は、そのままその選手の魅力の証明でもありますよね。
3. 諦めと悟り:これが「フィギュア大国日本」の宿命
「誰が選ばれても地獄だった」「日本代表になるのは、五輪でメダルを獲るより難しい」という、どこか悟ったような意見も多くありました。層が厚すぎるがゆえの悲劇。他国なら確実にエースになれる選手が、日本では代表にすらなれない。この贅沢すぎる、けれどあまりにも苦しい現状を「日本の宿命」として受け入れようとする、ファンの苦悶が伝わってきます。
わたしが思うこと:正解がないからこそ、言葉にしたい
わたし自身、この記事を書きながら、何度も手が止まりました。選ばれた選手を100%の笑顔で祝福したい。でも、涙を呑んだ選手の顔が浮かんで、手放しで喜ぶことに罪悪感を覚えてしまう。そんな経験、あなたにもありませんか?
でも、これだけは言えると思うんです。選ばれた3人も、選ばれなかった選手たちも、このミラノへの道のりで積み上げてきた努力は、誰にも否定できない真実です。選考結果は、その選手の価値を決めるものではありません。代表になれなかったからといって、彼らが氷上で見せてくれたあの輝きが、色褪せることは決してないんです。
スポーツの厳しさと、美しさは表裏一体
選考基準を巡る議論は、これからも続くでしょう。もっと透明性を高めてほしい、もっと納得感を重視してほしい。そう願うのは、私たちがフィギュアスケートという競技を、そして選手たちを心から愛しているからこそ。この「議論が起きる」こと自体が、今の日本フィギュア界の熱量の高さを示しています。
スポーツは残酷です。でも、その残酷なまでの勝負の世界に身を置き、自分を高め続ける選手たちの姿があるからこそ、私たちはこれほどまでに心を動かされるのかもしれません。
ミラノへ向けて、私たちができること
代表に決まった鍵山選手、そして共に戦う仲間の選手たち。彼らは今、落選した仲間の想いも背負って、計り知れないプレッシャーの中にいるはずです。私たちが今できることは、それぞれの感情を大切に抱えながらも、最終的には「氷の上に立つことを許された人たち」を精一杯応援すること。そして、今回は届かなかったけれど、素晴らしい景色を見せてくれた選手たちに「ありがとう」を伝え続けることではないでしょうか。
ミラノ五輪。そこには、選ばれなかった多くの選手たちの汗と涙も、間違いなく一緒に連れていかれるはずです。今はまだ心がざわざわして落ち着かないかもしれません。それでいいと思います。そのモヤモヤも、すべてフィギュアスケートを愛する熱量の一部ですから。
ゆっくり時間をかけて、またみんなで選手たちを応援できる日が来ることを願っています。鍵山くん、本当におめでとう。そして、すべてのスケーターのみなさん、本当にお疲れ様でした。

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