あの日から31年、神戸の街とドラマが私たちに問いかけるもの

1月17日という特別な日の空気を、あなたはどう感じましたか?

「もう31年も経つんだね」という言葉が、どこか他人事のように聞こえてしまう自分もいれば、カレンダーを見るだけで胸が締め付けられるような思いをしている人もいる。そんな、少し複雑な1月17日の夜でした。わたしは、NHKで放送された震災特別ドラマを観終わった後、しばらくテレビの前から動けなくなってしまいました。

今の神戸の街を歩くと、どこを切り取っても美しく、洗練されています。震災の爪痕を探すほうが難しいほど、建物は新しくなり、おしゃれなカフェや商業施設が並んでいます。でも、その整然とした街並みの下には、あの日、崩れ去った瓦礫と、それ以上に深い人々の悲しみが埋もれているんですよね。今回のドラマは、そんな「目に見える復興」と「目に見えない心の止まった時間」のコントラストを、痛いくらいに描き出していました。

今日は、あのドラマを観て感じたこと、そしてSNSなどで皆さんが口にしていた「今の素直な気持ち」を整理しながら、わたしたちがこれからどう歩んでいくべきか、一緒に考えてみたいと思います。

「綺麗すぎる街」への違和感と、ドラマが描いたリアル

震災から31年という月日は、生まれた赤ちゃんが三十路を超えるほどの長い時間です。当時を知らない世代が社会の主役になりつつある今、街が綺麗になるのは当然のことかもしれません。でも、当時を生き抜いた人たちの中には、この美しさにどこか「置いてけぼり」にされている感覚を抱いている人が少なくありません。

ドラマの中でも、主人公がふとした瞬間に感じる「喪失感」が丁寧に描かれていました。街は元通りになったけれど、そこにいたはずの人は帰ってこない。当たり前だった日常が、ある日突然、暴力的に奪われた事実。それを「過去のこと」として片付けられない人たちが、今もこの街で呼吸をしています。

SNSでは「ドラマを観るのが辛くて途中で消してしまった」という声も多く見かけました。それは決してドラマの出来が悪いからではなく、あまりにも描写が誠実で、自分の中の蓋をしていた記憶を抉り出してしまうからでしょう。一方で、「この苦しみを知らない世代にこそ観てほしい」という切実な願いも混ざり合っていました。この両極端な反応こそが、31年という歳月の重みを物語っている気がします。

「語り継ぐ」という言葉の重圧

毎年、この時期になると「風化させてはいけない」「語り継がなければならない」という言葉が溢れます。でも、わたしはこの言葉が時として、生き残った人たちや遺族の人たちに、大きな重圧を与えているのではないかと感じることがあります。

「あの日のことを話してほしい」と言われても、言葉にできない感情は山ほどあります。言葉にした瞬間に、何かが零れ落ちてしまうような、そんな脆い記憶。ドラマの中の登場人物たちも、無理に言葉にするのではなく、ただ沈黙の中で寄り添い合うシーンがありました。あれこそが、真の意味での「共有」なのかもしれません。無理に教訓化しようとしたり、感動的なストーリーに仕立て上げたりすることなく、ただ「そこにあった痛み」を提示すること。今回のNHKのドラマからは、制作者側のそうした慎重な姿勢が感じられました。

SNSで見られた「三つの反応パターン」

今回のドラマ放送前後、SNSでは大きく分けて三つの反応が見られました。それぞれの言葉の裏にある感情を紐解いていくと、今の日本人が震災に対して抱いている「現在地」が見えてきます。

1. 「自分事」として再燃する痛み

まず多かったのは、やはり当時の経験者による「追体験」の吐露です。「あの時の揺れを思い出した」「避難所の冷たい床の感触を忘れていない」といった声です。彼らにとって、震災は31年前の出来事ではなく、今も地続きの日常の一部。ドラマのワンシーンが、まるで昨日のことのように当時の記憶を呼び起こしてしまう。こうした反応からは、心の復興には終わりがないことが痛いほど伝わってきます。

2. 「震災を知らない自分」への戸惑い

次に目立ったのは、震災後に生まれた、あるいは当時は幼くて記憶がない若い世代の反応です。「ドラマを観て初めて、これほどまでの恐怖だったのかと知った」「神戸がこんなにボロボロだったなんて信じられない」といった驚き、そして「自分たちが何をすべきかわからない」という戸惑いです。彼らは、決して無関心なわけではありません。ただ、あまりにも巨大な悲劇を前にして、どう向き合えばいいのかという「方法」を探しているのだと感じました。

3. 「美談化」への強い警戒感

そして、鋭い視点として存在したのが「震災を綺麗な物語にしないでほしい」という意見です。「前向きに生きる姿」だけを切り取るのではなく、救いようのない絶望や、癒えることのない憎しみ、そういった「黒い感情」もまた震災の一部だという指摘です。ドラマという枠組みの中で、どうしても「再生」を描かなければならない制作者側のジレンマと、リアリティの狭間で揺れる視聴者の葛藤が見て取れました。

「防災」という言葉を、もっと柔らかく捉えてみる

こうした反応を見ていて、わたしが思ったのは「防災」という言葉の捉え方についてです。私たちはついつい、防災というと「非常食を買う」「避難経路を確認する」といった具体的な行動を思い浮かべます。もちろん、それは命を守るために不可欠なことです。

でも、それと同じくらい大切なのが「想像力を持ち続けること」ではないでしょうか。誰かが抱えている目に見えない傷に想いを馳せること。隣にいる人が、31年前の今日、大切な人を亡くしているかもしれないと想像すること。ドラマを観て流した涙は、単なる同情ではなく、そうした「他者への想像力」の種になるはずです。

「風化」という言葉に抗うのは、個人の力では限界があります。時間は残酷にすべてを押し流していくからです。でも、ドラマやニュース、SNSでの発信を通じて、誰かが「忘れていないよ」と声を上げることで、その流れを少しだけ緩やかにできるかもしれません。わたしたちにできることは、あの日から31年経った神戸の街を歩き、美味しいものを食べ、笑い合いながらも、ふとした瞬間に「あの日があったこと」を、そっと思い出すこと。その程度の、柔らかい意識の持ち方でもいいのかもしれません。

わたしは、こう考えます

ドラマの終盤、登場人物の一人が静かに言った言葉が印象的でした。「忘れることは、薄情なことじゃない。生きていくために必要なことでもある。でも、覚えている誰かが隣にいれば、それでいいのかもしれない」

31年という歳月は、すべての人に平等に流れます。辛すぎて忘れたい人もいれば、死ぬまで抱えていきたい人もいる。どちらも正解だと思います。大切なのは、社会全体として「忘れてもいい場所」と「忘れてはいけない記憶」の両方を、優しく包み込んでおくことではないでしょうか。

今回のNHK特別ドラマは、単なる追悼番組ではなく、私たちに「今のあなたの生き方はどうですか?」と問いかけているように感じました。地震はいつかまた、必ずやってきます。その時、私たちが守れるのは、物理的な命だけではありません。あの日、多くの人が感じた「人と繋がることの尊さ」という心の遺産も、一緒に守っていきたい。そう強く思った夜でした。

あなたは、ドラマを観て、あるいは今日のニュースを見て、どんなことを思いましたか? 誰かに話したくなったら、いつでも教えてくださいね。私たちはこうして言葉を交わすことで、少しずつ、新しい明日を作っていけるのだと信じています。

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