『週刊少年ジャンプ』という、熾烈な競争と「友情・努力・勝利」が象徴される誌面において、三浦糀による『アオのハコ』は異彩を放ち、かつ圧倒的な支持を得ている。本作が提示するのは、かつてのスポ根漫画のような血湧き肉躍る熱狂でも、あるいはラブコメ特有の過剰なデフォルメでもない。そこにあるのは、早朝の体育館に差し込む陽光のような、どこまでも透き通った「誠実な青春」の記録である。
本作の物語は、中高一貫のスポーツ強豪校・栄明高校を舞台に、バドミントン部に所属する猪股大喜と、女子バスケットボール部のエースであり、憧れの先輩である鹿野千夏との関係を軸に展開する。物語の導入部で提示される「親の海外転勤に伴う同居」という設定は、一見すれば古典的なラブコメの記号に思えるかもしれない。しかし、本作はこの設定を安易な性的ハプニングやドタバタ劇の装置として消費しない。むしろ、同じ屋根の下に住むからこそ浮き彫りになる、お互いのストイックなまでの「競技への姿勢」と、それに対する深い敬意を描き出すための舞台装置として機能させているのだ。
『アオのハコ』の最大の魅力は、スポーツと恋愛という二つの要素が、決して分離することなく、不可分な「一本の線」として編み込まれている点にある。大喜にとって、千夏への恋心は、単なる所有欲や憧憬ではない。それは、自分よりも遥かに高い場所を目指して孤独に走り続ける彼女に追いつきたい、あるいは彼女の隣に立つのに相応しい人間でありたいという、競技者としての向上心と分かちがたく結びついている。恋が競技のノイズになるのではなく、むしろシャトルを追う一歩を強くするためのガソリンになる。この健全な相互作用こそが、本作を単なる恋愛漫画から、高潔な青春ドラマへと昇華させている要因である。
また、三浦糀の卓越した画力と演出についても触れなければならない。キャラクターの微細な表情の変化、特に「視線の交差」や「言葉にできない間の取り方」の描写は、もはや芸術的ですらある。背景描写においても、体育館の空気感や、季節の移ろいを感じさせる光の演出が徹底されており、読者はまるで自分もその空間に身を置いているかのような没入感を覚える。台詞による説明を最小限に抑え、キャラクターの立ち振る舞いや風景で感情を語らせる手法は、少年漫画の枠を超えた文学的な情緒を醸し出している。
さらに、脇を固めるキャラクターたちの存在も忘れてはならない。大喜の親友である笠原匡の冷静ながらも温かい洞察、そして何より、大喜に想いを寄せる新体操部の蝶野雛の存在だ。雛は、いわゆる「負けヒロイン」という類型的な枠には収まらない。彼女が抱く葛藤、大喜への想いと千夏への敬意の間で揺れる心象風景は、読者の胸を締め付ける。彼女の存在があるからこそ、大喜と千夏の関係性はより多面的に、そして残酷なまでに美しく照らし出されるのである。
本作が現代の読者にこれほどまでに響く理由は、その「誠実さ」にあるのだろう。SNSが普及し、あらゆる感情が即座に言語化・記号化される現代において、言葉にできない想いを抱え、ただひたすらに自分を磨き続ける彼らの姿は、一種の救いのようにすら感じられる。相手を想うことと、自分の夢を追うこと。その両方を諦めず、全力で肯定する大喜たちの姿は、青春の眩しさと、それに伴う痛みを知るすべての世代の心を打つ。
『アオのハコ』は、まだ物語の途上にある。しかし、すでに本作は、スポーツと恋愛の融合という古典的なテーマに対し、2020年代における一つの正解を提示したと言っても過言ではない。青い春の真っ只中にいる若者にとっても、かつてその季節を通り過ぎた大人にとっても、本作が描く「純光」は、心の最も柔らかな部分を優しく、そして強く照らし続けることだろう。私たちは、この青い箱の中で育まれる結晶が、どのような輝きを持って結実するのかを、これからも息を呑んで見守り続けることになる。

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