浪速の街に春を呼ぶ「十日戎」の深淵―商売繁盛の神様と「えべっさん」の精神文化

## 序文:新春の静寂を破る「商売繁盛」の祝祭

日本の新年は、静謐な初詣から始まる。しかし、関西、とりわけ大阪や兵庫の街においては、松の内が明ける頃、その静寂を劇的に塗り替える喧騒が訪れる。それが「十日戎(とおかえびす)」である。毎年1月9日から11日までの3日間、神社周辺には「商売繁盛で笹持って来い」という景気の良い囃子詞が響き渡り、何百万人もの参拝客が「えべっさん」の愛称で親しまれる恵比寿神のもとへ押し寄せる。

本稿では、単なる季節行事の枠を超え、日本人の勤労観や共同体意識、そして独自の宗教観が凝縮された「十日戎」の本質について、歴史的背景から現代的意義までを深く考察する。

## 一、恵比寿神の多面性:漂着神から商売の神へ

十日戎の主祭神である恵比寿神は、七福神の中で唯一の日本古来の神とされる。その出自には大きく分けて二つの系譜がある。一つは、記紀神話において伊邪那岐・伊邪那美の第一子でありながら、不具の子として海に流された「蛭子命(ひるこのみこと)」。もう一つは、出雲神話における大国主神の子「事代主神(ことしろぬしのかみ)」である。

興味深いのは、どちらの説においても「海」との深い関わりがある点だ。古来、漂着物は「寄り神」として信仰の対象となり、漁業に携わる人々にとって恵比寿は「豊漁の神」であった。それが中世から近世にかけて、物流の拠点である港町から都市部へと信仰が伝播する過程で、海からの幸を富に変える「商売繁盛の神」へと変容を遂げたのである。左脇に大きな鯛を抱え、右手に釣竿を持つその姿は、無理に獲るのではなく、足るを知り、知恵を絞って成果を上げるという、商いのあるべき姿を象徴している。

## 二、祭事の構造:宵戎・本戎・残り福

十日戎は三日間にわたって開催されるが、それぞれに異なる趣がある。

1. **1月9日「宵戎(よいえびす)」**:祭りの幕開け。神を迎え入れる準備が整い、参拝者は一足早く新年の祈願を行う。
2. **1月10日「本戎(ほんえびす)」**:祭りの最高潮。各地の神社では、早朝から深夜まで参拝の列が途切れることはない。特に兵庫県西宮市の西宮神社で行われる「開門神事福男選び」は、この日の早朝を象徴する行事である。
3. **1月11日「残り福(のこりふく)」**:三日間の締めくくり。「残り物には福がある」という言葉通り、最後まで福を授かろうとする人々で賑わう。

この三日間を通じ、人々は「福笹」と呼ばれる縁起物を授かる。竹の生命力にあやかった笹に、「吉兆(きっちょう)」と呼ばれる小判や米俵、鯛などの縁起物の飾りを付ける。この笹を家に持ち帰り、神棚や高い場所に飾ることで、一年の繁栄を願うのである。

## 三、西宮神社と今宮戎:二大聖地の対比

十日戎を語る上で欠かせないのが、全国のえびす神社の総本社である「西宮神社(兵庫県)」と、浪速の商人の魂が集う「今宮戎神社(大阪府)」である。

西宮神社の特徴は、前述の「福男選び」に代表される、動的で荒々しい神事の伝統にある。一方、大阪の今宮戎神社は、より「商人のリアリズム」が色濃く反映されている。かつて四天王寺の西門に位置し、市場の守護神として発展したこの地には、大阪という商業都市の熱量が凝縮されている。ここでは、公募で選ばれた「福娘」たちが参拝者に福笹を授ける。彼女たちの朗らかな微笑みは、商売における「接客の精神」や「和の尊さ」を象徴しており、厳しい経済競争の中でも笑いを忘れない大阪商人の気風を体現していると言えるだろう。

## 四、文化的人類学の視点:なぜ「笹」なのか

十日戎において、なぜ竹(笹)が用いられるのか。竹は常緑であり、弾力性に富み、折れることなく真っ直ぐに伸びる性質を持つ。これは、商売が絶えることなく続き、逆境にあっても折れずにしなやかに立ち直る「不撓不屈(ふとうふくつ)」の精神を表している。

また、授与される際の「商売繁盛で笹持って来い」という掛け声についても深い意味がある。これは単に「笹を持ってお参りに来なさい」という意味だけでなく、「笹(酒の隠語)を持って祝宴を開きなさい」という説や、「笹を持っていれば商売が繁盛する」という双方向の祝福の意味が込められている。神と人間が共に楽しみ、繁栄を喜び合うという、日本独特の「共食(きょうしょく)」や「共遊」の精神がそこには流れている。

## 五、現代における十日戎の意義:コミュニティと信頼の再構築

現代のデジタル社会において、物理的な場所を伴う「祭り」の重要性はむしろ高まっている。十日戎は、単なる宗教行事ではなく、地域の経済コミュニティを再確認する貴重な機会である。

商売とは、突き詰めれば「人との繋がり」と「信頼」に他ならない。参拝者は神に依存するのではなく、一年の決意を新たにするために「えべっさん」に会いに行く。境内に響く賽銭の音、お囃子、そして福娘の掛け声。それら五感を刺激する体験を通じて、人々は「自分は社会という大きなネットワークの一部である」という実感を得るのだ。特に、近年のような不確実な経済状況下において、十日戎が持つ「ポジティブなエネルギーの共有」は、精神的なインフラとしての役割を果たしている。

## 結びに代えて:笑顔がつなぐ繁栄の環

恵比寿神の表情、いわゆる「えびす顔」は、柔和な笑みを湛えている。これは、商売の極意は「笑顔」にあることを我々に教えてくれる。どんなに技術が進化し、ビジネスの形態が変わろうとも、富を運び込むのは「人」であり、その中心には「和」と「徳」があるべきだという教えである。

十日戎の喧騒が終わり、冬の寒空に笹を掲げた人々が家路に就くとき、浪速の街には一歩早い春の気配が漂い始める。その笹に吊るされた吉兆は、単なる飾りではなく、明日への希望と活力を灯す、商標(しるし)なのである。

私たちは今、再び十日戎の喧騒に耳を傾けるべきかもしれない。そこには、長い歴史の中で磨き上げられた「生き抜くための知恵」と、どんな困難も笑い飛ばして前進する「不屈の生命力」が宿っているからだ。今年もまた、「えべっさん」の大きな笑い声とともに、新たな繁栄の物語が幕を開ける。

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